
さて、続きだ。
今年のうちに書いてしまおう。
この前のところまで論を進めておくと
一つの疑問が浮かび上がってくる。
「それじゃ、今まで“彼ら”の年代は
(彼らの「世代」ではないことに注意)
箍を外した自己中心的な行動を
とってこなかったのか?」
これまたステレオタイプな議論かもしれないが、
日本における就労の主要な形態が
農林水産業あるいは商業といった自営業、
言い換えれば、生涯現役が可能な生業であった時代は、
定年とかいう発想はあまりなかったはず。
そういう時代においては、
60歳になろうと70歳になろうと
自らの生業を介してずっと「世間」と向き合ってきたはずだ。
もちろん体力の衰えからの跡継ぎはあったろうけど、
その生業を引退した後も、生業を営んできた
地域で暮らし続けることが多かったために、
彼らにとっての「世間」が
「生業を営む場としての地域」から
「余生を暮らす場としての地域」へと
自然にシフトしていったのではないだろうか。
それが、就労産業の変化というか、
会社に勤めることが主要な形態になってきたと。
それでも、その大半が卒業後に勤め人となった世代、
つまり団塊の世代が中高齢になるまでの間は
その問題はあまり顕在化しなかった。
そうして、団塊の世代がその年代を迎えてきた今、
彼らのとっての「世間」が
「会社を中心とした世界」から
「余生を暮らす場としての地域」へと
うまくシフトしていけるのだろうか。
双方の間には二つの大きな乖離がある。
一つは会社と生活の場とが空間的に離れている地域乖離の問題、
もう一つが会社と余生を暮らす場とは
取り巻く人間関係が全く違うという人的乖離の問題。
後者の乖離を埋めるためには、
ほぼ一から人間関係を形成していくことが必要なのだが、
それを容易くできるか困難を極めるかは
各人それぞれ、ケースバイケースだと思う。
しかし、昔のあの頃は
仕事の場と生活の場とが近接することが多かっただろうし、
人間関係の点においても
各人の描く人間関係の円が外接しやすかったことを考えれば、
現在ははるかに難しい状況であることは間違いない。
これはつまり地域政策なのだ。
団塊の世代が地域のコミュニティに
気兼ねなく参入できる仕組みを
政策的に整えていくことなのだ。
前回書いたことと重複するけど、
もし彼らがうまく次の世間に参加することができたならば、
その世間のなかで互いを律しあう「鏡」の機能は
自ずと発揮されていくだろう。
しかし、もし彼らが何らかの理由で
地域コミュニティに参加することに失敗して、
他の代替的なコミュニティにも入ることができなかった場合、
新たな人間関係を形成できずに
「鏡」がそもそも構造化されない結果となる。
そのようなコミュニティ疎外の事態は、
自らを律する機会を失った世代を作り出すことになる。
最悪の場合、(今年本当に象徴的だった)
親が子をあやめる事件・子供が標的にされる犯罪の多発から
退職後の世代が自己中心的な事件や犯罪を重ねる
というふうに、犯罪の特徴が変わっていくかもしれない。
んで、地域政策といっても、
具体的にはどのような施策が必要なのか?
地域政策は門外漢なんですが、
彼らが自分達のやりたいことを申し出るのを待つのではなく、
地域に根付く生業、地域が欲している役割を
彼らにどんどん提示していくことが必要だと思う。
つまり、彼らが地域に必要とされているのだということを
はっきりと伝える必要がある。届ける必要がある。
今思い浮かぶ具体例を挙げるならば、
小中学校の教育補助だったり。
特別養護老人ホームの介護補助だったり。
教育の点については、
地域住民が学校運営に関与する
コミュニティ・スクールが徐々に展開されるなかで
彼らが貢献できる可能性は小さくなさそうだ。
また、学校内に属する大人の数を増員することで
いじめの温床となる教師の死角がある程度減少するはずだ。
介護の点については、
「介護する側」(主に20代〜50代)と
「介護される側」(主に60代〜80代)とが
年齢的にかけ離れている構造のままでは
ますます進展する高齢化社会においては
需給格差が広がるのは目に見えている。
もし団塊の世代が、わずかな割合であっても、
「介護される側」から「介護する側」へと移行できるならば、
その格差拡大を抑えることができるのではないかと。
また、「いつかは自分もお世話になるのだから…」
という気持ちが、一生懸命従事する糧となると思う。
さて、まとめ。
“彼ら”の世代がこれから世の中でどのように位置づけられるかが
今世紀(残り95年か)の日本の試金石になると思います。
大げさな表現と感じられるかもしれませんが、
今後の高齢社会のなかで定年退職前後の60〜70歳代に
どのような役割を求めるのかを明確にしたうえで
定年退職後にその役割にスムーズに定着できるような
仕組みを整えることが火急的に重要な課題になると思います。
あと、最後にもう一つだけ。
もちろん制度とか政策とかも必要だと思うけど、
彼らの世代が会社勤めのなかで培ってきた「鏡」の機能を
定年退職後も彼ら自身の内面に備えるべきということが
もっと声高に論じられていいと思う。
もし、彼らの世代が「団塊の世代」という呼び名から
例えば「良心の世代」という呼び名に変わることができたならば、
今世紀の日本は安泰だと思う。真剣に思う。